「待つ」ということ

今回はちょっと真面目な記事です。

支援において大切なことに「待つ」ということがあります。
支援者が手をかけすぎると、本人の意思決定や成長を妨げるからです。
自分で選択する。そこには責任が発生し、成功すれば達成感も大きい。
(より良く成功できるように、ちょっとしたお膳立てをしますが。)
障がい程度の重度軽度の判定は関係なく、基本は、出来る(出来そうな)ことは本人に完結してもらうことが大切。

重度のハンディを持っている方を支援させていく際には、やはり待つことが多くなります。
課題を習得することはもちろんのこと、他者からの指示に対してだったり、それこと様々な場面。
軽度やグレーゾーンの方の支援を希望するセラピストが多くなった。
それは、やはり軽度の方は成長速度が早いことが多いから、セラピスト自身の達成感が満たされる回数が多いからです。
重度の方が課題習得に半年から1年かかるところを、軽度の方は2か月で習得する場合もある。
一つの課題に1年。
その期間を「待てるか」「待てないか」。
この期間に虚しさを感じるセラピストはもちろんいます。(良い悪いではなくてね)

軽度の方の支援に特化するセラピストに対して、セラピスト本人が達成感を感じて【仕事を続けられる】のが大切ですね。
有能なセラピストが増えることが、結果として生きづらさがある方が少しでも減るわけだし。
もちろん、今でも重度の方を支援する有能なセラピストもたくさんいますしね。

私は焦らされて焦らされての習得!!の方が達成感がある。
だから重度の方を支援することが合っているんだな。

「療育者はどMじゃないとできない」

とは私の師匠の言葉。師匠ほどではないけれど、「自分もどMだな」と考えていたら無意識に笑顔になっていたらしい。
ゆうこ先生から「気持ち悪っ」とバッサリと斬られた。
それも、また、「良し」なのだ(笑)。